いやぁ〜「
龍馬伝」気合入ってます。
7月27日朝から鹿児島県〜宮崎県にまたがる霧島連山の
高千穂峰(1574m・宮崎県高原町)に登り、「龍馬伝」のロケを行なったようです。
前回、関連記事「
龍馬伝、第3部、いよいよ長崎ロケ・鹿児島ロケなどが」で、
史実通りに、高千穂峰に登って欲しいなぁ〜とは書いたものの、さすがに登山ロケは無理だろうなぁ〜、今回の鹿児島・霧島ロケは
霧島神宮とか、犬飼滝あたり、高千穂峰は裾にある高千穂峰への登山口でもある「高千穂河原」辺りに落ち着くかなと、内心は思っておりましたが、良い意味で見事にハズレてくれました。
それにしても気合い入ってます!坂本龍馬役の福山さんをはじめ、全員が実際にに高千穂峰に登り、早朝5時〜19時の長時間ロケに挑んだようです。
詳しくは下段に掲載した今回の龍馬伝鹿児島ロケ関連のニュース記事リンク&個人の方のブログ記事(写真等もあり)等を参照してください。
[高千穂峰山頂・天の逆鉾(あまのさかほこ)霧島東神社社宝・鉄あるいは銅製 ]
前回記事でも書きましたが、龍馬伝で楢崎龍(お龍)を演じる真木よう子さんが、NHK綜合の「龍馬を愛した女たち〜ヒロインたちの龍馬伝〜」という番組で、高千穂峰に登っておりました。
今、思えばこの「龍馬伝」本番ロケの下見・予行の意味もあったのかも知れませんね。
今回のロケ、頂上部は時折ガスが出て、天気が今ひとつだったようですが、無事撮影を終えたようです。
龍馬とお龍は頂上にある「天の逆鉾」を引いたそうで、まさか本物の「天の逆鉾」は抜けないだろうし、周りの景観も当時とは違うでしょうし、あのシーンはどうするのかなぁ?と大変興味ありましたが、別に用意した当時の状態つまり鉾先の無い「天の逆鉾」を実物に見立て、逸話同様、引き抜いたようです。
天の逆鉾について
天の逆鉾は霧島の度々の噴火により鉾先が折れてしまい、柄だけの時代があったようで、龍馬が登った時にも柄だけでした。
鉾先は都城市吉之元町の荒武神社の御神体として祀られていたそうですが、戦後の混乱の中で紛失してしまったと言われます。
現在の鉾先は後付のものであり、いつ誰が付けたかは分かっていないそうです。(宮崎県高原町広報誌より)
磯海水浴場、龍門司坂、栄之尾温泉でもロケ
7月28日は、磯海水浴場(鹿児島市・千巌園の近くにあります。龍馬が桜島を見つめるシーン)、
龍門司坂(たつもんじざか)(姶良市)、霧島の温泉(栄之尾温泉・霧島市)で撮影が行なわれ、鹿児島市の仙巌園でもロケも計画していたようですが、雨で中止となったようで、記者会見だけ行なわれたようです。
このブログでも2つ前の記事で偶然「
鹿児島県 龍門司坂」を題材に書きましたが、龍門司坂は加治木島津家が嘉永8年 (1631年) に造ったもので、かつては大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道、明治10年(1877年)2月、西南戦争では総勢6千名とも言われる薩摩兵士がこの坂道を登って熊本方面を目指したとの事。
現在は、全長1,500mの内、500m弱を当時の状態で見る事ができます。
歴史的背景もバッチリな大変雰囲気の良いところです。
平成元年と二年にNHKドラマ「
跳ぶが如く」の撮影も行われており、「
篤姫」の参勤交代のシーンでも使われたというブログも見かけましたし、NHK御用達ロケ地のようです(^^)
最近はCGでいかようにも誤魔化せるのでしょうけど、どこにいっても電柱電線建物・・・人工物だらけで、なかなかこういう時代のロケをするところは少なく、結果的に同じところとなってしまうのでしょうか。
今回の「龍馬伝」鹿児島ロケ・霧島ロケは総勢160名(スタッフ60人のほか、地元の100人がボランティアとして参加)のロケ隊とか・・
どんな映像になっているのか、今から楽しみですね。
鹿児島ロケ 第38回「霧島の誓い」9月19日 1シーンのみ9月5日の第36回「寺田屋騒動」で放送
鹿児島での収録分は
第38回「霧島の誓い」9月19日に放送。
(ロケの感じからだと、おそらく放映は少しの時間と思いますが・・・)
1シーンのみ9月5日の第36回「寺田屋騒動」で放送予定とのこと。
(9月5日の第36回「寺田屋騒動」、山の中の坂道で弥太郎がコケたシーンがあったと思いますが、あのシーンが龍門司坂と思います。それにしても、弥太郎、最近はなんだか、笑いをとるシーンが目につきますね。 )
坂本龍馬の新婚旅行
以下は 霧島市広報紙より一部引用
慶応2(1866)年12月 坂本乙女宛の手紙(抜粋)
この後3日大阪に出、4日に蒸気船に乗り込み、長崎には9日に着き、10日に鹿児島へ行きました。
この時は薩摩の京都留守居役 吉井幸輔も一緒で船の中でいろいろ話していきましたが、温泉へ一緒に遊びに行きましょうということで吉井に誘われ、また、二人連れで霧島山へ行く途中、日当山の温泉に泊まり、また、塩浸温泉(しおひたしおんせん)という温泉にも行きました。
ここはもう大隅地区で和気清麻呂が庵を作って修行したところで、陰見の滝(いんけんのたき)[現在の犬飼の滝(いぬかいのたき)]もあり、その瀑布の高さは50間(100m)もあり、滝の途中は崖に触っていません。
実にこの世の外かと思うほどの珍しい所です。
ここで10日ほど泊まって遊び、谷川の流れで魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして、大変おもしろく過ごしました。
その後はまた山深く入って霧島の温泉に行き、ここから又山上に登り、天の逆鉾(さかほこ)を見ようと妻と二人ではるばる登りましたが、橘南谿(たちばななんけい)の西遊記(孫悟空のではなく、中国、四国、九州などの旅行記)の記述ほどではないけれど、どうもひどい道で女の足には難しいようでしたが、とうとう「馬の背越え」までよじ登り、ここで一休みして、またはるばると登り、遂に頂上に登ってあの天の逆鉾を見ました。
やれやれと腰をたたいて、はるばる登りましたが、右の絵のような思いもかけぬ顔つきの天狗(てんぐ)の面があり、二人で大笑いしました。
ここに来れば、非常に高い山なので、目の届く限り見え渡り、すばらしかったのですが、なにぶん4月のことでまだ寒く、風も吹くので、そろそろと降りました。
わりと原文 →
坂本龍馬の手紙/慶応2年12月4日付坂本乙女宛
3月10日 鹿児島城下に到着。
3月16日 霧島に向けて出港。浜之市に上陸し日当山に着く。
3月17日 塩浸温泉に着く。
3月28日 霧島山に出発、硫黄谷温泉に泊まる。
3月29日(新暦5月13日) 高千穂峰に登る。華林寺の宿坊に泊る。
3月30日 硫黄谷温泉に帰る。
4月1日 塩浸温泉に帰る。
4月8日 日当山に帰る。
4月11日 浜之市に帰る。
4月12日 浜之市をたち、鹿児島城下に帰る。
6月2日 桜島丸に乗船して鹿児島を出航。
この時、龍馬32歳、お龍27歳だったようです。
龍馬の新婚旅行については、
Hayato.com(鹿児島のnickさん)がよく調べてらっしゃいますので、ページへのリンクを記しておきます。
Hayato.com:歴史探訪:龍馬・新婚旅行・高千穂峯に立つ龍馬ハネムーンロードまっぷ
龍馬とお龍の新婚旅行の地「霧島」の関連情報をまとめた鹿児島県発行のパンフレットです。
表(PDF)、
裏(PDF)