ひむかブログX2
2022-06-20T07:25:49+00:00
Serene Bach
久住高原ロードパーク 九重夢大つり橋 旅館ななかまど 他
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid16.html
2015-11-15T09:05:36+09:00
2015-11-15T00:05:36Z
久住高原ロードパークの紅葉久住高原ロードパーク(くじゅうこうげんロードパーク)は、岩崎産業株式会社(鹿児島市)が運営する一般自動車道で、竹田市久住の大分県道11号別府一の宮線から久住高原の北側を通り、...
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自然
久住高原ロードパークの紅葉久住高原ロードパーク(くじゅうこうげんロードパーク)は、岩崎産業株式会社(鹿児島市)が運営する一般自動車道で、竹田市久住の大分県道11号別府一の宮線から久住高原の北側を通り、同市の県道阿蘇くじゅう公園線に至る延長8.8kmの有料道路です。
道路沿いに紅葉を多く見ることが出来、久住高原ロードパークは紅葉の時期は特にオススメポイントです。
〜 大きなモミジ・久住高原ロードパークにて 〜
〜 大きなモミジ・久住高原ロードパークにて 〜
写真の一本紅葉?はこんもり丸く、遠くから見るとオレンジ色ですが近寄って見ると、緑から赤まで種々の色、とても鮮やかな色でした。
随所に車を停められるパーキングが設けてあります。
道路からは久住山、祖母山、阿蘇山の景色が堪能できるようですが、この日はあいにく霧が出ており視界が悪く見えませんでした。
〜 久住高原ロードパークこて 〜
単に走るだけではなく、車を停め、ゆっくり眺望など楽しみながら通ると良いかと思います。
普通車の通行料金は600円だったかと思います。
九酔渓・九重夢大吊橋の紅葉
久住・九重方面の紅葉スポットの定番!といえば・・九酔渓・九重大吊橋、やっぱここでしょう!という感じ、行ってまいりました。
〜 吊橋近くの茶屋にて 〜
今回は、二回目、特に橋を渡る予定も無かったので、一般的な南側の駐車場ではなく、反対側の方から見学しました。
以前、九重夢大つり橋が完成した頃は、橋の付け根の小高い丘にも入れそこから橋を見下ろすように見学できたのですが、安全面からでしょうか、一帯は進入禁止となっており残念。
こちらの橋の袂の駐車場は無料、民間の駐車場で300円です。
橋全体、震動の滝などを見るには有料(100円)の展望所を利用すると良いです。
〜 九重夢大吊橋 〜
天気が良ければもっと映えたのでしょけど・・それでも散った紅葉なども加わり、ちょうどいい感じの時に訪れることが出来ました。
帰りは九酔渓をドライブ、阿蘇方面へと向かいました。
当サイト内「九重夢大つり橋ページ」 → 九重夢大つり橋[続きがあります]
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佐賀県鹿島市 七浦秋祭り 鎮守神社面浮立と かしま伝承芸能フェスティバル
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid15.html
2015-09-30T18:04:26+09:00
2015-09-30T09:04:26Z
宮崎の祭りの写真を提供した関係でいただいた、福岡に本社のあるとある会社の2015年カレンダー、このカレンダーは、九州各県の祭りをテーマとしており、今月9月は、佐賀県鹿島市の「面浮立(めんぶりゅう)」で...
morimori
伝統伝承芸能
佐賀県鹿島市の「面浮立(めんぶりゅう)」でした。
田んぼの中の道を練り歩く厳しい面を付けた「面浮立」(めんぶりゅう)の写真。
神楽などの民俗芸能系の好きな私は、非常に興味を抱きました。
「面浮立」のことをインターネットで調べてゆくうちに、このカレンダーの写真は、鹿島市の「鎮守神社」への道行を撮影したもののようで、毎年9月の第二週に、行われる「七浦秋祭り(秋季例祭)」で奉納されることがわかりました。
実は、偶然、たまたま佐賀に別件で佐賀県に行く機会があり、見て来ました。
別にページを作成しましたので大きな写真はそちらご覧ください。
→ 七浦秋祭り 母ヶ浦鎮守神社で撮影した面浮立(めんぶりゅう)などの写真
朝8:00〜午前中、鎮守神社で面浮立を見学、その後、祐徳稲荷神社で行われる、「第18回かしま伝承芸能フェスティバル」へ移動しました。[続きがあります]
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一心行の大桜(熊本県南阿蘇) 2012
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid14.html
2012-04-13T21:41:52+09:00
2012-04-13T12:41:52Z
九州を代表する大桜、一心行の大桜(いっしんぎょうの大桜)を久々見てきました。何度見ても、圧倒的な存在感です。背景の阿蘇の山々も桜を守り立てているかのようです。概要この桜は、天正8年(1580)島津氏...
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花
一心行の大桜(いっしんぎょうの大桜)を久々見てきました。
何度見ても、圧倒的な存在感です。
背景の阿蘇の山々も桜を守り立てているかのようです。
概要
この桜は、天正8年(1580)島津氏との戦いで矢崎城(三角町)で戦死した峯伯耆守惟冬(ほうきのかみこれふゆ)の菩提樹とされている。
妻と遺児が故郷のこの地に戻り、惟冬の霊を弔うため一心に行をおさめたということで「一心行」の名がついたとされているそうです。
一心行の大桜は山桜、樹齢は400年余りと言われる。
高さ:14m 枝張 東西21.3m 南北26.0m
この桜は満開のころは、花はまっ白です。
やがて、花が散りはじめる頃には、葉が出て、ピンクっぽい色合いへと変わって行きます。
[続きがあります]
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大分県臼杵の石仏(磨崖仏・まがいぶつ)
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid13.html
2011-03-27T10:46:25+09:00
2011-03-27T01:46:25Z
今回の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします被災された方々に心からお見舞い申し上げ一日も早い復興をお祈りいたします震災以来、写真もブログも少しお休みしておりましたが、被災していない我々が元気を...
morimori
歴史・史跡
被災された方々に心からお見舞い申し上げ
一日も早い復興をお祈りいたします
震災以来、写真もブログも少しお休みしておりましたが、被災していない我々が元気を出さねばと、再開します。
臼杵石仏(うすきせきぶつ)(磨崖仏・まがいぶつ)
今日は、大分県臼杵市の“臼杵の石仏”の写真をご紹介します。
臼杵石仏(磨崖仏・まがいぶつ)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。
規模、数量(60余体)、彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、昭和27年国の特別史跡、昭和37年国の重要文化財の指定を受け、平成6年には保存修理工事を終え、平成7年に磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に59体が指定されました。
[続きがあります]
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龍馬伝 鹿児島ロケ 霧島ロケ
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid12.html
2010-07-29T07:36:34+09:00
2010-07-28T22:36:34Z
いやぁ〜「龍馬伝」気合入ってます。7月27日朝から鹿児島県〜宮崎県にまたがる霧島連山の高千穂峰(1574m・宮崎県高原町)に登り、「龍馬伝」のロケを行なったようです。前回、関連記事「龍馬伝、第3部、いよい...
morimori
歴史・史跡
龍馬伝」気合入ってます。
7月27日朝から鹿児島県〜宮崎県にまたがる霧島連山の高千穂峰(1574m・宮崎県高原町)に登り、「龍馬伝」のロケを行なったようです。
前回、関連記事「龍馬伝、第3部、いよいよ長崎ロケ・鹿児島ロケなどが」で、史実通りに、高千穂峰に登って欲しいなぁ〜とは書いたものの、さすがに登山ロケは無理だろうなぁ〜、今回の鹿児島・霧島ロケは霧島神宮とか、犬飼滝あたり、高千穂峰は裾にある高千穂峰への登山口でもある「高千穂河原」辺りに落ち着くかなと、内心は思っておりましたが、良い意味で見事にハズレてくれました。
それにしても気合い入ってます!坂本龍馬役の福山さんをはじめ、全員が実際にに高千穂峰に登り、早朝5時〜19時の長時間ロケに挑んだようです。
詳しくは下段に掲載した今回の龍馬伝鹿児島ロケ関連のニュース記事リンク&個人の方のブログ記事(写真等もあり)等を参照してください。
[高千穂峰山頂・天の逆鉾(あまのさかほこ)霧島東神社社宝・鉄あるいは銅製 ]
前回記事でも書きましたが、龍馬伝で楢崎龍(お龍)を演じる真木よう子さんが、NHK綜合の「龍馬を愛した女たち〜ヒロインたちの龍馬伝〜」という番組で、高千穂峰に登っておりました。
今、思えばこの「龍馬伝」本番ロケの下見・予行の意味もあったのかも知れませんね。
今回のロケ、頂上部は時折ガスが出て、天気が今ひとつだったようですが、無事撮影を終えたようです。
龍馬とお龍は頂上にある「天の逆鉾」を引いたそうで、まさか本物の「天の逆鉾」は抜けないだろうし、周りの景観も当時とは違うでしょうし、あのシーンはどうするのかなぁ?と大変興味ありましたが、別に用意した当時の状態つまり鉾先の無い「天の逆鉾」を実物に見立て、逸話同様、引き抜いたようです。
天の逆鉾について
天の逆鉾は霧島の度々の噴火により鉾先が折れてしまい、柄だけの時代があったようで、龍馬が登った時にも柄だけでした。
鉾先は都城市吉之元町の荒武神社の御神体として祀られていたそうですが、戦後の混乱の中で紛失してしまったと言われます。
現在の鉾先は後付のものであり、いつ誰が付けたかは分かっていないそうです。(宮崎県高原町広報誌より)
磯海水浴場、龍門司坂、栄之尾温泉でもロケ
7月28日は、磯海水浴場(鹿児島市・千巌園の近くにあります。龍馬が桜島を見つめるシーン)、龍門司坂(たつもんじざか)(姶良市)、霧島の温泉(栄之尾温泉・霧島市)で撮影が行なわれ、鹿児島市の仙巌園でもロケも計画していたようですが、雨で中止となったようで、記者会見だけ行なわれたようです。
このブログでも2つ前の記事で偶然「鹿児島県 龍門司坂」を題材に書きましたが、龍門司坂は加治木島津家が嘉永8年 (1631年) に造ったもので、かつては大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道、明治10年(1877年)2月、西南戦争では総勢6千名とも言われる薩摩兵士がこの坂道を登って熊本方面を目指したとの事。
現在は、全長1,500mの内、500m弱を当時の状態で見る事ができます。
歴史的背景もバッチリな大変雰囲気の良いところです。
平成元年と二年にNHKドラマ「跳ぶが如く」の撮影も行われており、「篤姫」の参勤交代のシーンでも使われたというブログも見かけましたし、NHK御用達ロケ地のようです(^^)
最近はCGでいかようにも誤魔化せるのでしょうけど、どこにいっても電柱電線建物・・・人工物だらけで、なかなかこういう時代のロケをするところは少なく、結果的に同じところとなってしまうのでしょうか。
今回の「龍馬伝」鹿児島ロケ・霧島ロケは総勢160名(スタッフ60人のほか、地元の100人がボランティアとして参加)のロケ隊とか・・
どんな映像になっているのか、今から楽しみですね。
鹿児島ロケ 第38回「霧島の誓い」9月19日 1シーンのみ9月5日の第36回「寺田屋騒動」で放送
鹿児島での収録分は第38回「霧島の誓い」9月19日に放送。
(ロケの感じからだと、おそらく放映は少しの時間と思いますが・・・)
1シーンのみ9月5日の第36回「寺田屋騒動」で放送予定とのこと。
(9月5日の第36回「寺田屋騒動」、山の中の坂道で弥太郎がコケたシーンがあったと思いますが、あのシーンが龍門司坂と思います。それにしても、弥太郎、最近はなんだか、笑いをとるシーンが目につきますね。 )
坂本龍馬の新婚旅行
以下は 霧島市広報紙より一部引用
慶応2(1866)年12月 坂本乙女宛の手紙(抜粋)
この後3日大阪に出、4日に蒸気船に乗り込み、長崎には9日に着き、10日に鹿児島へ行きました。
この時は薩摩の京都留守居役 吉井幸輔も一緒で船の中でいろいろ話していきましたが、温泉へ一緒に遊びに行きましょうということで吉井に誘われ、また、二人連れで霧島山へ行く途中、日当山の温泉に泊まり、また、塩浸温泉(しおひたしおんせん)という温泉にも行きました。
ここはもう大隅地区で和気清麻呂が庵を作って修行したところで、陰見の滝(いんけんのたき)[現在の犬飼の滝(いぬかいのたき)]もあり、その瀑布の高さは50間(100m)もあり、滝の途中は崖に触っていません。
実にこの世の外かと思うほどの珍しい所です。
ここで10日ほど泊まって遊び、谷川の流れで魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして、大変おもしろく過ごしました。
その後はまた山深く入って霧島の温泉に行き、ここから又山上に登り、天の逆鉾(さかほこ)を見ようと妻と二人ではるばる登りましたが、橘南谿(たちばななんけい)の西遊記(孫悟空のではなく、中国、四国、九州などの旅行記)の記述ほどではないけれど、どうもひどい道で女の足には難しいようでしたが、とうとう「馬の背越え」までよじ登り、ここで一休みして、またはるばると登り、遂に頂上に登ってあの天の逆鉾を見ました。
やれやれと腰をたたいて、はるばる登りましたが、右の絵のような思いもかけぬ顔つきの天狗(てんぐ)の面があり、二人で大笑いしました。
ここに来れば、非常に高い山なので、目の届く限り見え渡り、すばらしかったのですが、なにぶん4月のことでまだ寒く、風も吹くので、そろそろと降りました。
わりと原文 → 坂本龍馬の手紙/慶応2年12月4日付坂本乙女宛
3月10日 鹿児島城下に到着。
3月16日 霧島に向けて出港。浜之市に上陸し日当山に着く。
3月17日 塩浸温泉に着く。
3月28日 霧島山に出発、硫黄谷温泉に泊まる。
3月29日(新暦5月13日) 高千穂峰に登る。華林寺の宿坊に泊る。
3月30日 硫黄谷温泉に帰る。
4月1日 塩浸温泉に帰る。
4月8日 日当山に帰る。
4月11日 浜之市に帰る。
4月12日 浜之市をたち、鹿児島城下に帰る。
6月2日 桜島丸に乗船して鹿児島を出航。
この時、龍馬32歳、お龍27歳だったようです。
龍馬の新婚旅行については、Hayato.com(鹿児島のnickさん)がよく調べてらっしゃいますので、ページへのリンクを記しておきます。
Hayato.com:歴史探訪:龍馬・新婚旅行・高千穂峯に立つ龍馬ハネムーンロードまっぷ
龍馬とお龍の新婚旅行の地「霧島」の関連情報をまとめた鹿児島県発行のパンフレットです。
表(PDF)、裏(PDF)[続きがあります]
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龍馬伝、第3部、いよいよ長崎ロケ・鹿児島ロケなどが
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid11.html
2010-07-18T11:24:15+09:00
2010-07-18T02:24:15Z
NHK大河ドラマ「龍馬伝」ごらんになってますか?私は、最所は何気に見ておりましたが、香川さん演じる「岩崎弥太郎」がお気にいリで、毎回楽しみに見ております。その「龍馬伝」ですが、本日、第29回「新天地、...
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歴史・史跡
龍馬伝」ごらんになってますか?
私は、最所は何気に見ておりましたが、香川さん演じる「岩崎弥太郎」がお気にいリで、毎回楽しみに見ております。
その「龍馬伝」ですが、本日、第29回「新天地、長崎」より第三部「RYOMA THE NAVIGATOR」に入り、いよいよ舞台は、九州・長崎へと移ります。
龍馬新天地長崎へ(NHK龍馬伝サイト内ページ)
龍馬伝 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー) 龍馬伝 後編
参考まで、龍馬伝は4部構成のようで下記の構成となっているようです。
- SEASON1 RYOMA THE DREAMER 1月〜
第1部:龍馬誕生、江戸に剣の修行へ出る→脱藩するまで - SEASON2 RYOMA THE ADVENTURER 4月〜
第2部:幕臣・勝海舟に師事し、神戸海軍操練所で学ぶ
→ 政変によって操練所が閉鎖に追い込まれるまで - SEASON3 RYOMA THE NAVIGATOR 7月〜
第3部:長崎の華やかさ、外国人がいるエネルギーを表現
→ 薩長同盟が成立するまで - SEASON4 RYOMA THE HOPE 9月〜
第4部:海援隊の結成と大政奉還
→龍馬暗殺死まで
NHK鈴木CPによると「第3部はメンバーを一新し、まったく新しいドラマになる」との事、個人的には第2部後半が、間延び、少し中だるみ気味だったので、今回の第3部に期待しております。
第3部プロモーションビデオ |同、画面(大) (NHK龍馬伝サイトより)
3部最後の第38回(9月19日放送予定)「霧島の誓い」では鹿児島、霧島ロケのお龍との旅行も放映予定のようです。(これが日本最初の新婚旅行と呼ばれています。)
* 一シーンのみ第36回「寺田屋騒動」9月5日にも放送予定との事。
薩長同盟〜寺田屋騒動〜龍馬の結婚〜新婚旅行・・楽しみですね。
龍馬伝長崎ロケ
「龍馬伝」の長崎ロケはこれまでに二回行われているようです。
一回目、2月24日・25日のロケでは、ハウステンボスの「観光丸」を使った大村湾での船上ロケでした。
「観光丸」を咸臨丸、順動丸に模して使用。
咸臨丸の上で龍馬は勝麟太郎からジョン万次郎を紹介されるシーン 第16回(4月18日放送)
文久3(1863)年、龍馬、勝、長次郎を乗せた順動丸は品川から神戸を目指して航行 第18回(5月2日放送)などで使われました。
キャスト
福山 雅治(坂本龍馬 役)
武田 鉄矢(勝麟太郎 役)
トータス松本(ジョン万次郎 役)・・・24日のみ
大泉 洋(近藤長次郎 役)・・・・25日のみ
以前撮影したハウステンボスの観光船 その2
第二回目の長崎ロケは 5月27日〜29日の3日間
崇福寺(そうふくじ)(長崎市鍛冶屋町)、グラバー邸、大浦天主堂(日本二十六聖殉教者天主堂)、外海、佐世保市浅子で行われたようです。
第27、29、30、31、33回で放送予定との事
福山 雅治(坂本龍馬 役)
伊勢谷友介(高杉晋作 役)
蒼井優(芸妓(げいこ)お元 役)
余貴美子(大浦慶 役) など
龍馬伝長崎ロケ 長崎市WebSaite(PDF)
崇福寺(そうふくじ)は坂本龍馬と何か由縁があるのかなぁ?とネット検索で調べてみましたが、よくわかりませんでした。
[続きがあります]
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鹿児島県 龍門司坂
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid10.html
2009-11-12T23:00:28+09:00
2009-11-12T14:00:28Z
先日、鹿児島県加治木町に日本の滝百選にも選ばれている、龍門滝(りゅうもんだき)を撮影に行った際、近くにある龍門司坂(たつもんじざか)(国指定史跡・文化庁 歴史の道百選)を発見、見てきました。現地にあ...
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歴史・史跡
現地にあった説明文によると
「龍門司坂は加治木島津家が嘉永8年 (1631年) に造ったもので、かつては大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道、明治10年(1877年)2月、西南戦争では総勢6千名とも言われる薩摩兵士がこの坂道を登って熊本方面を目指した。」との事。
現在は、全長1,500mの内、500m弱を当時の状態で見る事ができます。
人気の無い杉木立につつまれた、苔むした石畳の坂道を歩いていると、今にも向こうからお侍さんが歩いて来そうな、そんな雰囲気の、素晴らしいところでした。
もちろん森林セラピー効果も絶大でしょう。[続きがあります]
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桜島 噴火 火柱
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid9.html
2009-10-23T21:31:45+09:00
2009-10-23T12:31:45Z
鹿児島観光関連も力入れて?・・これまで、宮崎県の観光をメインにWebコンテンツを作成してきましたが、九州新幹線もじきに来るお隣の鹿児島観光なしに宮崎県観光は、語れなくなるだろう、ということで鹿児島観光...
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自然
鹿児島観光関連も力入れて?・・これまで、宮崎県の観光をメインにWebコンテンツを作成してきましたが、九州新幹線もじきに来るお隣の鹿児島観光なしに宮崎県観光は、語れなくなるだろう、ということで鹿児島観光関連もこれから少ーーしづつ撮影、最終的には南九州観光を網羅するサイトを目指して行く予定です。
鹿児島観光と言えば?
鹿児島観光と言えば・・昨年まではマイブーム?圧倒的に「篤姫/島津関連」でしたが、熱しやすく冷めやすい典型的な日本人的性格?の私は、最近は「篤姫熱」も冷めてしまいまして(^^;)
やはり鹿児島観光と言えば「桜島」なしに語れんかなぁ・・今、まさに桜島は日本で一番活発な活動している火山だしぃ〜と言うことで、鹿児島観光の手始めに桜島を撮ってまいりました。
「あなたと私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとは思いませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンがおいしい頃ですね。」
・・・と上野公園の西郷さんの銅像に語りかけるくだりが林芙美子の代表作「放浪記」にある。
桜島の写真
桜島の壁紙
従来の縦横比モニター(4:3)
1024×768ピクセル
1280×960ピクセル
1600×1200ピクセル
ハイビジョン比率横長モニター(16:9)
1366×768ピクセル(ハイビジョン)
1920×1080ピクセル(フルハイビジョン)
横長パソコン比率横長モニター(16:10等)
1280×800ピクセル(WXGA)
1280×768ピクセル(WXGA)
1440×900ピクセル(WXGA+)[続きがあります]
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佐賀県小城市江里山の棚田と彼岸花
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid8.html
2009-09-19T21:09:21+09:00
2009-09-19T12:09:21Z
棚田と彼岸花、佐賀県小城市江里山地区農村景観百選、日本の棚田百選にも選ばれれている佐賀県小城市小城町岩蔵の江里山の棚田と彼岸花です。ここは夕方に訪れました。意図的に逆光気味に黄金色の稲穂、そして棚田...
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花
棚田と彼岸花、佐賀県小城市江里山地区農村景観百選、日本の棚田百選にも選ばれれている佐賀県小城市小城町岩蔵の江里山の棚田と彼岸花です。
ここは夕方に訪れました。
意図的に逆光気味に黄金色の稲穂、そして棚田の塀の影、コントラストをねらってみました。
天山山系の標高250メートルに位置するここ江里山地区には約600枚の棚田があり、9月23日には、地域の活性化を目的とした「彼岸花まつり」が開催されるようです。
おそらく彼岸花も23日頃が一番の見ごろの頃では?と思います。
写真はクリックすると拡大します。
棚田の周囲を囲むように見える線は、イノシシ除けの電線のようです。
イノシシ除けの電線は、このあたりの棚田では良く見かける光景です。
いずれページ化し、紹介したいと思います。[続きがあります]
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福岡県星野村広内、上原地区の棚田と彼岸花
https://blog2.pmiyazaki.com/log/eid7.html
2009-09-19T21:03:33+09:00
2009-09-19T12:03:33Z
福岡県星野村の棚田の彼岸花と、佐賀県小城市江里山の棚田と彼岸花を撮影に出かけました。それぞれ分けて書きます。福岡県星野村の棚田現地案内板より。星野村を代表する景観の一つに石積みの棚田があります、この...
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花
福岡県星野村の棚田
現地案内板より。
星野村を代表する景観の一つに石積みの棚田があります、この棚田は永い年月を費やし、山をクワで切り開き、山石を一つ一つ積み重ね上げ造られたもので、星野村のいたるところで見ることが出来る原風景の一つとなっております。
特に星野村の棚田は、急斜面に造ってある為、狭く永いのが特徴です。
田の幅は山の形に沿って広くなったり狭くなったりしながら、狭いところは1mにも満たないほど狭く長さは、長いもので300m近くもあります、こうした棚田が、山の斜面んび帯状に連なり、山すそ野から山頂まで続く様子は、天に向かって延びる階段のようにも見えます。
いつの時代から造られはじめたか、その起源は定かではありませんが、「田んぼ」の面積が石積の面積より小さなところもあり、傾斜地の中で最大の農地を確保するために苦労した先人の努力がうかがえます。
また、開墾による棚田づくりも大事業であったはずですが、同時に用水確保のため山間の渓流を源に求め岩を削り、土堤を築き、石を組みながら長い用水路を築き、開墾した山田に命懸けで水を送った先人達の知恵と技術のすごさは想像を絶するものがああります。
広内、上原地区の棚田
星野村のいたるところで見られる棚田の中でも、最も美しく精巧な石積の棚田で、階段模様が眺めることができるのが、この「広内・上原地区の棚田」です。
約12,6hrの広さに137段、425枚もの棚田が、標高差230mの斜面に広がっています。
みごとに整備された石垣、あぜ一面に咲き誇る真っ赤な彼岸花と収穫直前の黄金色の稲穂の競演等々
この棚田の景観は訪れる人々の目と心に強いインパクトを与え、星野村の景勝地となっております。
1995年「美しい日本のむら景観コンテスト」農林水産F大臣賞受賞
1999年「日本の棚田百選」に認定された。
福岡県星野村では1999年に「広内・上原地区棚田保護条例」を制定し、村及び、村民等が一体となって
貴重な稲作の文化遺産である棚田を保護し、有効な活用を図っております。 引用終わり[続きがあります]
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